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Poody's Holiday
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ちょっとお出かけ

旧官営富岡製糸場

2006.07.22

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今朝の朝日新聞に群馬県富岡市に赤煉瓦造りの旧官営富岡製糸場が残されているとの記事が載っていて、見学も出来るということだったのでさっそく出かけた。

入り口にある事務所で受付を済ませると係の人が、何故ここに製糸場が出来たか創立の経緯、建物の構造や当時の労働環境などについて丁寧に説明してくれた。

明治維新直後の政府は、工場化産業施設の創設を計画し日本の近代化を推進した。そのために必要な資金調達は貿易による外貨獲得に求め、生糸の輸出振興策が打ち出された。 日本の生糸は、蚕の病気のため品不足となっていた欧米各国に輸出され生糸の輸出は活況を呈したが、しだいに粗製濫造が目立ち始め不評を買うようになった。 このため、外国人指導者を招き、様式製糸機械を導入した。全国から工女を募集し技術を習終えた工女たちが出身地に戻り、指導者となり欧米諸国に負けない良質な生糸を生産するための模範工場として富岡製糸場が創設された。



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富岡製糸場の主な建物は、東繭倉庫、西繭倉庫、操糸場、2号館、3号館、女子寄宿舎、ブリューナ館、診療所など。 建物は木骨煉瓦造りで木の骨組みの間に煉瓦を積んである。当時は煉瓦がなかったため、
現在の甘楽町に窯を築き瓦と煉瓦を焼いたそうだ。煉瓦の目地にはセメントを使うのが普通だが、セメントがなかったため漆喰を使っている。

写真は東繭倉庫



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製糸工場の労働環境というと『あゝ野麦峠』に書かれているように過酷なものと思われがちだが、この冨岡製糸場には診療所もあり、医師も常駐し手術室も完備していた。
また、ブリューナ館はフランス人技師ポール・ブリューナの住居だったが後に、片倉富岡高等学校として使用し工女たちの学力向上を図っていたとのこと。

写真は片倉診療所




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冨岡製糸場は1987年3月に操業を停止した。
2005年10月、富岡市の所有となり2006年7月5日 国の重要文化財として指定を受けた。 また、富岡市では富岡製糸場を世界文化遺産への登録を考えており、そのための様々な取り組みを行っているとのことだった。
写真は操糸場
窓ガラスはフランスから取り寄せたもので歪んでいる。










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